天照大神の御子神  
     
  一、 御祭神      
   市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
   田心姫神(たごりひめのかみ)
   湍津姫神(たぎつひめのかみ)
 
     
  一、 由緒  
    嚴島神社の三柱の御祭神は畏くも皇祖天照大神の御子神であらせられ、「嚴島神社記録帳」によると、安芸国島嚴神社の御分霊を平家の守護神として、安徳天皇の御座船におまつりされていたが、壇ノ浦の合戦後磯辺に放棄されていたの里人に神託があって、「吾は嚴島姫の神也、早く祭るべし、かしこの磐之上にあり」と、ふしぎに思いながらそこに行って見ると、磯辺に御鏡太刀様の物をみつけ、文治元年(西暦1185年)里人たちが社殿を建立し、更に安芸国厳島神社より御分霊をあらためて勧請し、今日に至っております。  
   
 
  嚴島三神  
     
  一、 御祭神      
   市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
   田心姫神(たごりひめのかみ)
   湍津姫神(たぎつひめのかみ)
 
     
  一、 由緒  
   嚴島三神は、宗像三神ともいい、畏くも皇祖天照大神と素盞嗚尊(すさのうのみこと)との誓約(うけい、神聖な占いのこと)によって、素盞嗚尊の剣から天照大神が生みだした、三柱の姫神さまであります。美人の誉れ高く、日本の代表的な海の神である嚴島三神は、福岡県の宗像大社や広島県の厳島神社の祭神としてよく知られています。「日本書紀」には、天孫降臨の際に「道の中に下り居して、天孫を助け奉りて、天孫のために祭られよ」とその道中の安全を守護するようにと天照大神から命じられたとあり、そこから海上安全、交通安全の神として信仰されるようになりました。
 これは、大和朝廷と大陸朝鮮半島との交流が盛んになるにつれ、ますます盛んになりました。
 海は神秘的な力を持ち豊かな恵みをもたらしますが、その一方で荒れ狂ったときには、人も船も飲み込んでしまう凶暴性を発揮します。でありますから、海に生活の糧を求める古代、中世、近世そして現代の人々に至るまで、海に対して強い恐れと崇敬の気持ちを感じ、海を司る神霊を鎮めるために、嚴島三神を祀って安全と恵みを祈願しました。
 
     
  一、 御神徳  
  海上安全・交通安全・家内安全・無病息災・商売繁盛・安産祈願・病気平癒・方位災除・学業成就など  
     
  一、 祭日  
     節分祭 二月節分の日  
     夏越祭 七月第三土・日曜日  
     例 祭 十月第三土・日曜日  
     
  一、 境内末社 貴船神社  
   本社は京都市左京区貴船に鎮座する貴船神社で御祭神は高淤加美神(たかおかみのかみ)と言います。 水を司る神であり、降雨・止雨を司り、降った雨を地中に蓄えて適量湧き出させる働きを司る神であります。また水は万物の命の源であり、生物の生命を維持する大御業を分担する強い神威のある神であります。水神様として親しまれ、商売繁盛・開運の神として水に関係する仕事の人々に崇敬されています。  
     
     
   
 
  この地は幕末明治維新の大きな原動力となった高杉晋作を始め奇兵隊諸士が活躍した明治維新発祥の地であります。
  慶応元年(1865年)4月、徳川幕府は第二次長州征伐令を発し、同2年(1866年)6月、大島口(山口県大島郡)・芸州口(広島県)・石州口(島根県)・小倉口(福岡県)の四境で兵力の圧倒的不利にもかかわらず、戦いの火ぶたが切らました。                                          
  この戦に際し高杉晋作は長門国嚴島神社に戦勝祈願を行いました。この四境戦争での長州軍の勝利は討幕への重要な契機となったが、中でも高杉晋作が指揮する小倉口戦いです。小倉口戦いは、最大の激戦となり、長州軍は奇兵隊・報国隊の2隊を先鋒とし戦い、ついに慶応2年8月1日、幕軍総帥小笠原壱岐守が小倉城を脱出、小倉藩は自ら城に火を放って敗走しました。攻め入った長州軍は余燼の中から、この太鼓を持ち帰り、高杉晋作が戦勝祈願を行った嚴島神社に大御神へのお礼にと奉納したのであります。
 
         
   
         
     
   
 
  平安時代末期、平家の政権が傾くに従い、以仁王の平家追討の令旨に応じた諸国の源氏に平氏は都を追われ、一ノ谷、屋島と合戦を重ね西国に下って行きました。そして最後の雌雄を決したのが壇ノ浦の合戦であります。この合戦に敗れた平家は散り散りになり、「嚴島神社記録帳」によると、安芸国厳島神社の御分霊を平家の守護神として、安徳天皇の御座船におまつりされていたが、壇ノ浦の合戦後磯辺に放棄されていたのを里人に神託があって、「吾は嚴島姫の神也、早く祭るべし、かしこの磐之上にあり」と、ふしぎに思いながらそこに行って見ると、磯辺に御鏡太刀様の物をみつけ、文治元年(西暦1185年)里人たちが社殿を建立し、更に安芸国厳島神社より御分霊をあらためて勧請しました。
長門国嚴島神社は、歴史の大きな転換点に創建され、安芸国厳島神社の御分霊を平家の守護神として、安徳天皇の御座船におまつりし、平家終焉の地に鎮座ましました。このことは、長門国嚴島神社は、平家の滅亡という事実を物語る重要な神社といえます。
 また、壇ノ浦の合戦の後、各地に落ち延びた平家の武者たちは、隠れ住みながらも、嚴島三神を祀りました。
 そして、勝者である源氏においても、嚴島三神の神威を尊び、斎き祀ることを咎めることなく丁重な対応をとりました。
 
     

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